対馬を代表する和多都美神社!
古事記に記された神話!
海幸彦と山幸彦という兄弟がいました。
海幸彦は海で漁をし、山幸彦は山で狩りをして暮らしていました。
ある日、弟の山幸彦は兄の海幸彦に
「僕は、釣りがしてみたい。今日一日、お兄様の釣り針を貸してくれませんか」
海幸彦は、弟があまりにも懇願するのでしぶしぶ貸す事にしました。
山幸彦が海で魚を釣り、海幸彦は山で狩りをしました。
海幸彦は、狩りがうまく出来ず、諦めて、釣り針を返してもらう為、弟のもとへ行きました。
兄にあったとたん、弟の山幸彦が謝罪します。
「お兄様、ごめんなさい。お兄様の釣り針を海へ落してしまいました。」
それを聞いた海幸彦は激怒しました。。
山幸彦は、自身の十束剣を鋳つぶして大量の釣り針を作って兄に許しを請いますが、
兄は、「自分の釣り針じゃないから、いらない」と受け取ってくれません。
山幸彦は途方に暮れて、海をぼんやり眺めていました。
どうしていいのか、わからず泣いていると、どこからか老人が現れました。
「お前は、なぜ泣いているのかね」
この老人は、鹽椎神(しおつちのかみ)と名乗る神様でした。
山幸彦は今までの出来事を話しました。
老人は、船をくれ、
「この船で潮の流れるま進めば、綿津見神(わたつみのかみ)の宮殿に着くだろう。」
山幸彦は、老人の言葉通り、宮殿にたどり着きました。
しばらくして、水を汲みにやってきた宮殿の侍女に水をもらいます。
しかし、水は飲まず、侍女が差し出した水の入った器に首飾りの珠を外して、口に含んで吐き出しました。
吐き出した玉は器にくっつき、とれなくなりました。
侍女は、綿津見神の娘である豊玉姫に知らせに行きました。
侍女から一部始終を聞いた豊玉姫は、、山幸彦に会いに行きます。
そこで豊玉姫は、山幸彦に一目惚れしてしまいます。
山幸彦を婿として宮殿に招き、豪華な食事を出し、美しい舞を踊りもてなしました。
山幸彦と豊玉姫は結ばれ、三年の月日が流れました。
ある日、山幸彦は無くした兄の釣り針を探しに来たことを思い出します。
豊玉姫は、綿津見神に釣り針の話しをしました。
綿津見神は、海底の魚たちに、釣り針を知らないかと聞きました。
すると魚たちは、鯛が「のどに魚の骨が引っかかって痛くて食べれないよ。」と泣いていたと教えてくれました。
その鯛を呼び、釣り針を外し、山幸彦に渡しました。
綿津見神は、兄に釣り針をかえしに地上にあがる山幸彦に二つの珠を渡しました。
そして、釣り針を渡す時に『この釣り針は、おぼ針、すす針、貧針、うる針』と唱えながら、渡すように言いい、
「兄はこれから貧しい暮らしをする事になるから、
兄が攻めてきたら、この鹽盈珠(しおみちのたま)で溺れさせ、
助けを求めて来たときには、この鹽乾珠(しおひのたま)を使いなさい」と言いました。
地上に戻り、山幸彦は
『この釣り針は、おぼ針、すす針、貧針、うる針』と唱え、兄に釣り針を返しました。
綿津見神が言ったとおり、どんどん貧しくなっていった海幸彦は、弟が釣り針を渡しながら言った呪文のせいで貧しくなったと山幸彦を攻めてきました。
向かってくる海幸彦に山幸彦は鹽盈珠を取り出し、溢れさせました。
苦しくなった海幸彦は、懇願し許しを乞います。
山幸彦は鹽乾珠を使って潮を引かせ、海幸彦を助けました。
これにより、海幸彦は降伏し、弟に従うことを誓いました。
ちょっと神話の話しが長くなりましたが、これでもはしおったつもりです・・・
すいません。
実際の和多都美神社を見てみよう
対馬には神話に登場した「和多都美神社」があります。
境内には、鳥居が2つ、海岸付近に1つ、海中に2つ。
本殿から、海の方向を見た時、5つの鳥居が順番に並んで見えます。
海側から見た神社も神秘的です。
海側からは、シーカヤックやクルージングで見ることが可能です。
干潮時には、潮が完全に引くので、歩いて海中の鳥居付近まで行けます。
こちらの神社には、竜宮伝説(先程の神話の中のお話)があり、伝説を裏づける木の根や「磯良恵比須」という三柱鳥居が存在します。
平安時代に編纂された「延喜式神名帳」に記録された由緒ある神社(式内社)が、九州には98社あり、107座の神々が祭られています。
豊玉姫命を御祭神としている神社はいくつかあります。
その中のひとつがこの「和多都美神社」です。
月夜の静寂の中に浮かぶ鳥居の存在感は圧倒的であり、月によって水面に映し出された鳥居はこの世のものではないような幻想的な美しさをかもしだしています。
まるで、この鳥居をくぐると竜宮城へ行けそうな気持ちがします。
神社に起きたショッキングな出来事とは。
令和2年9月 台風10号の影響で、和多都美(わたづみ)神社の海中そびえたつ一番奥の鳥居、1の鳥居が崩壊しました。
このニュースを聞いた時、まさか!の第一声をあげたくらいで、まさかあの鳥居が折れるとは、本当にびっくりしました。
地元の方々にとって、はたまた日本中の人々が涙した辛い出来事です。
しかし、辛いとばかりは言ってられません。
鳥居の再建のため、2020/11/27クラウドファンディングを開始。
敏速な対応でした。
なんと、わずか4日間で目標の500万円を達成しました。
現在では2700万円まで集まり、クラウドファンディングの受付は終了しています。
再建費用は、おおよそ2000万円前後と想定されており、鳥居はチャーター便で輸送し、神社の特性上、陸地で作業して建てる事が出来ず、海上での作業になるそうで高額な費用が見込まれるようです。
竣工の目途は、来夏に開かれる「古式大祭」(旧暦8月1日、2021年9月7日)だそうです。
クラウドファンディングを成功へと導いた理由
こんなに早く目標額に達した理由の一つとして、ゲーム情報を扱うサイトに記事が出たことではないでしょうか。
神社はもともと対馬の観光の要的存在であり、地元の方々や神社ファンの支援もクラウドファンディングの目標達成の理由の一つと言えます。
とはいえ、ゲームサイトに記事が出てからの急速に支援金が伸びたのも事実であり、令和2年7月にPS4より、発売された「Ghost of Tsushima(ゴースト・オブ・ツシマ)のゲームの存在は大きいと言えます。
ゴーストオブツシマの発売は、神様の思し召しなのでは、ないのかと思ってしまいます。
もう一つの理由として
クラウドファンディングの報酬は、1万円以上の寄付をすると、石碑(ステンレス製銘版になるかも)に名前を刻める特典があったことです。
ちなみに熊本城は、お城再建の際、寄付金をした人へお礼として、城主証の発行や城主として城内にテロップで名前を流してあったそうです。
なにを隠そう私は、『熊本城の城主』なのです。
毎回、熊本城の話しが出ると「私の城だ!」と言っています笑
石碑に名前を刻む!
対馬を舞台として作られただけあって、現在の地形をほぼそのまま再現されています。
開発にあたりクリエーターが何度も対馬を訪れて取材したことが垣間見えます。
ゲーム内には、神社もゲームに登場します。
11/21に放送されたクイズ番組「世界ふしぎ発見!」で、対馬と共にゴーストオブツシマも大きく取り上げられ、ゲームの知名度とともに対馬の知名度もアップ!!
先程説明した、クラウドファンディングの報酬で石碑に名前を刻める特典がありますが、
ゲーム内では各所にある誉れの石碑には刀装具が置いてあり、調べると入手することができます。ゲームファンのみならず石碑に名前が刻まれるのは、心をゆさぶられたことでしょう。
通常であれば、社寺仏閣の支援で名前を刻む場合には木の札などを用いて書かれます。
木の札ではなく、石碑にしたところは、さすがとしか言いようがないと思います。
「国境の島、対馬」一度は訪れてみよう。
聖地巡礼の旅に出掛けたくなるファンもいるかと思いますが、今は新型コロナウイルスの感染拡大の問題もあり、ゲームファンのみならず、対馬を訪れることは難しいかもしれません。
しかし、「聖地巡礼」とは、ゲームのモデルになった場所に愛着を持つことであり、そうした愛着があればこそ、クラウドファンディングの呼びかにも答えてくれるのです。
再建された鳥居をみんなで見にいける世の中へ。
新型コロナウイルスの感染が一日でも早く、終息しますように・・・